岩松義政は、天皇の子孫であるため伊勢大神宮を厚く信仰し伊勢の内宮の分霊を勧請し、神官として伊勢四日市から四日市日光太夫を招きました。
柚木にはお伊勢参り道中記が3冊残っています。
10名程の同行で天文八年(1811)11月24日出発し、行きは、柚木=久ノ浜=植田=川尻=中奏=鹿島=江戸と一日10里(約40km)をてくてく歩き、東海道を上り12月18日に外宮に到着。
帰りは、大阪=京都=中津川=諏訪と中山道を通り高崎=今市=白河=本宮=飯舘村から栃窪へ抜けて正月17日に柚木に到着。53日かけての旅です。
このような旅行がお伊勢参りと結びついて20年あるいは30年に一度と繰り返し、その都度関東・関西の文化を少しづつ柚木村に持ち込んだと考えられます。柚木村は岩松公ゆかりの子孫が多く、四日市日光太夫の末孫らが先達として、お伊勢信仰を導いたのだろうと言われています。
伊勢大御神 上の太神宮
所在地
南柚木字宮前16
ご祭神
天照大御神の荒御魂
ご利益
武運長久 子孫繁栄 領内鎮護
創 建
応永13年(1406)