鹿島神宮(茨城県)、香取神宮(千葉県)、息栖神社(茨城県)は東国三社として、現在も信仰の篤い神社であり、江戸時代には関東以北の人は伊勢に参宮した後、禊ぎの「下三宮巡り」と称してこの三社を参拝したといいます。平安時代の延喜式(※)が定めた「神宮」と呼ばれる神社は、明治時代まで全国に三社だけしかなく、一つは伊勢神宮、そして残りの二つがこの地にある鹿島神宮、香取神宮です。
古代、時の権力者たちが、東北地方を支配しようと、兵を送り蝦夷(大和朝廷に服属しなかった東北を領有した民)の軍勢と戦いを繰り広げていました。
その後、征夷大将軍 坂上田村麻呂が蝦夷を平定しましたが、蝦夷の征討するための最前線に鹿島神宮は位置し、それを目的に創建されたと考えられています。
蝦夷征討時、武神である鹿島神宮の御祭神である武甕槌神を奉じて東北へ進出していったため、東北には鹿島神宮の分社である鹿島御子(児)神社や鹿島天足和気神社・鹿島神社などが数多く鎮座しています。
当地「鹿島」の名前の由来となった鹿島御子神社は、鹿島神宮に祀られている「武甕槌神」の子である「天足別命」を祀る神社です。そして、御刀神社は香取神宮の主祭神と同じ「経津主神(刀剣を神格化した神)」を主祭神として祀っています。さらには、浮州神社は、息栖神社の主祭神の「久那戸神」を祀っています。(武甕槌神、経津主神、久那戸神は、日本神話の「国譲り」に登場する神です)
東国三社は、それぞれの神社の場所を線で結ぶと ほぼ直角二等辺三角形になることから、強運を呼ぶ「関東のパワースポットトライアングル」とも呼ばれ、観光地としても人気です。
時代の流れの中で形は少しずつ変わっていますが、実は鹿島区も同じように、ほぼ二等辺三角形ができ出るように建立されています。浮州神社の創建に関しては諸説ありますが、いずれにしても創建当時は東国三社を意図して祀られたことに間違いはないようです。
※「延喜式」とは、平安時代中期の国(朝廷)の法制度をまとめたもので、このうち巻九・巻十を「延喜式神名帳」といい、「官社」とされていた全国にある2861の神社を紹介しています。そのため、「延喜式内社」と記されているものは、1000年以上の歴史と由緒ある神社となります。鹿島区には、鹿島御子神社と御刀神社があります。