要石山勝縁寺天明・天保の大飢饉により相馬の人口が激減し耕地が荒廃しました。 相馬中村藩はこの飢饉からの復興が急務であり、そのための政策の一つとして、浄土真宗を信仰する農民の移民政策を行いました。 その際、現富山県高岡市から移民した最円寺の二男廓然(かくねん)が創設者です。所在地鹿島字町115宗 派浄土真宗本願寺派創 建文化3年(1806年) アクセス 戻る 前の記事